P.C.Tiara
女性のためのパソコンクラブ

Home|    |BBSChatLinksHappy squareTiara goodsP.C.ChipsGalleryAbout a Tiara The history

 

◆ 1995年
 7月 パソコンサークル結成
10月 会報「ままぱそ」誕生
12月 年賀状コンテスト開催 マイクロソフト(株)に商品提供をお願いした

 サークル名は「カンガルーワープロパソコンクラブ」会報名は、子育て中のお母さん達が多かったので、ママ達のパソコン情報誌ということで、「ままぱそ」と命名しました。

 当時発行部数は会員数に合わせて21部サイズはA5で4ページ版、会報誌の印刷もプリンターで行っていました。今でこそ、ワープロ専用機は世の中から消えてしまいましたが、まだパソコンを持っている人が少なく、Vol.1の会報はワープロ専用機で作られ、Vol.2は「クリエーイティブライター」という子供用のソフトを使って作られたのです。

 この年冬Windows95の発売日で、秋葉原はお祭り騒ぎでした。その後。私達一般 の家庭に、パソコンがなくてはならないものへと変わって行ったのです。

◆ 1996年
 3月
オフラインパーティー「楽しんでみようパソコンの世界」開催。
クラブ名「P.C.Tiara」と改名。
 4月
神奈川の地元情報誌タウンニュースにオフラインパーティーの様子が掲載。
日経ウーマン5月号「日本全国サークルMAP」に紹介される。
会報「Tiara」と改名。
 5月
「おしゃべりTiara」スタート。
お茶を飲みながらパソコンの話に花を咲かせる、
初心者にとってパソコンを始める良いきっかけの場となる。
クラブ開放を「OPEN SPACE TIARA」と改名。内容も豊かに再スタート
 6月
ぱそ7月号「Paso PEOPLE」に登場。
P.C.Tiaraの名前が全国に知られ始める。
 7月
TiaraブランドのTシャツ作成。
 8月
Nifty内のホームパーティー(後にパティオ)開設。
「OPEN SPACE TIARA」の様子を中心に東急ケーブルテレビの取材がありニュースに放映される。
 9月
会報が6ページとなる。会報編集に多くのメンバーが力を注ぎ始める。
10月
「P.C.Tiara」のホームページ開設。
11月
「Tiara祭り」 開催。ペイントブラシで書いた子供たちの作品展を行う。さらに、日本経済新聞主催の「女性のためのネットワーキングフェア'96」でカレンダーにしたその作品がパネル展示され、記念となった。Tiaraオリジナルの指輪が完成。P.C.Tiaraの王冠マークをイメージ。
NTT全国タウン誌フェスティバル初参加。これより毎年参加。
12月
日経ウーマン1月号掲載。益々、全国に会員広がる。

 前年暮れから募集して、誌上年賀状コンテストを行いました。また、3月にはオフラインパーティー「楽しんでみようパソコンの世界」を開催し、親子70名という大きな集まりになり、地元タウン誌にも取り上げられて話題となりました。この時サークル名を「P.C.Tiara」、会報名を「Tiara」と改名し、女性のためのパソコンサークルとして新たな出発をしました。

 主な会報の記事はメンバー紹介、おすすめのソフト、お母さんのためのぱそこん講座パソコンショップ紹介、パソコン通 信のお話し等々。そういえば、まだ今のようなインターネットの世界ではありませんでした。

 この年は日経ウーマン、パソコン雑誌「Paso」(現在廃刊)などに掲載され、また東急ケーブルテレビのニュースにも出ました。この年は会報がB5版へ、ページも6ページと拡大しました。

 たった一人で始まった会報の編集は、次第に沢山の人たちの手で作られるようになっていき、NTT全国タウン誌フェスティバル初参加したのもこの年でした。

1997年
2月 個人のプロバイダーから女性のためのプロバイダーCALENにチェンジ。
パソコン倶楽部2月号掲載。
3月 「MAC隊結成。「アンケート取り隊」で、メンバーのデータベースを作る。
5月 「女性のためのパソコン講座」を開催し好評を得た。パソコンに関心を持つ女性達がさらに増えたことを実感する。
6月 Nifty内のホームパーティーがパティオへ引っ越し。ティアラオリジナルのトレーナーとウインドブレーカーを作る。
7月

「NECマルチメディアアート大賞'97」 に参加し、ジュニア団体部門入門の知らせが来たが、辞退。作品は自分たちのものとして大切に持ち続けることになる。

9月 「パソコン講座」在宅ワークをテーマに開催。予定人数を数倍上回った。
10月

日本経済新聞主催「女性のためのネットワーキングフェア'97」に参加。
P.C.Tiaraのブースは大盛況。700名のアンケートを取ることが出来た。 このとき現在のクラブキャスター「ティアラちゃん」パソコンデビュー。「ティアラちゃん」のマスコットやシールを来場者に配布。NHKすくすく赤ちゃん11月号掲載。クラブ内で在宅ワーカーが増え始める。

 前年暮れよりサークルのホームページが誕生。会報も8ページとなった。

 2月の会報の記事は「検定情報」「Macの仲間集まれ」「ハードの話」「ぱぱさん登場」「初心者のためのパソコンG&A」「在宅ワーク」「おもしろソフト紹介」「パソ通 ワールド」と内容も充実してきました。

 このころからでしょうか、在宅ワークに興味を持つ人たちが多くなったのは? そして10月忘れもしない横浜パシフィコで開催された日本経済新聞社主催の「女性のためのネットワーキングフェア'97」への参加。IBMやNECという大企業のブースが並ぶ中、P.C.Tiaraの小さなブースが設けられました。でも、他のブースに負けてはいませんでした。この時、キャラクターとして誕生したのがティアラちゃんでした

1998年
2月 「新春顔合わせの会」開催。託児付きの会員の食事交流会を行う。
3月 会報に4コマ漫画登場。
4月 Tiaraフレンズ発足(モニター会員、遠方のメンバーで原稿の作成など協力。
「Tiara Planning」 結成。(P.C.Tiaraから誕生した新在宅ワークグループ)。
「新Mac隊」誕生。
6月 北海道支部「じゃがじゃが」の始動準備はじまる。
7月 春に引き続 初夏顔合わせの会が開かれる。
日経新聞7/18付夕刊「ら・ら・らパソコン」掲載 。
10月 「Windows隊」(マリンネット)結成。
11月 パソコン主婦の友冬号に掲載される。毎日、山のような入会問い合わせが数ヶ月続く。(翌年21名でスタートしたクラブも約150名となる。「Macはじめ隊」結成。「おしゃべりTiara」再開(なし畑)
12月 レストランにて、「Tiara Planning」を中心にクリスマス作品展が行われる。
この時一般のお客様にも開放。ラジオで開催予定が流された。作品展は、会員作成のクリスマスカード展示、交流会、ショップ等、クリスマスを飾る楽しい催し物となった。

  会報に4コマまんが登場

 サークルのことが日経新聞に載り、11月にパソコン主婦の友に掲載された事をきっかけに、全国に急激に会員さんが広がっていきました。20部程度から始まった会報も、200部の発行へとつながっていきます。

 このころの記事を見ると、海外へ転勤したメンバーからメールで寄せられた記事も掲載されました。表紙はMac隊の自作の絵で飾られました。またホームページを作る記事が取り上げられているように、次第に会員さん達が自分のホームページを持つようになっていきます 。まだ、ISDNが高速通信といわれた時代でした。

 この年、会報の編集にメインで携わってくれていたOさんが病気でなくなるという悲しい出来事があり、追悼集が発行されました。

1999年
1月 FAXBOX誕生。田園都市線沿線・生涯学習情報タウン誌Wisdom掲載。
2月 代表松崎美取「Wisdom」にパソコンエッセイ執筆開始。
3月 マリンネット中心による「春よこいまつり」開催。
Tiaraちゃんスタンプ誕生
4月 「Weekend Mac」(フルタイムワーカーの会)結成。
「おしゃべりTiara in綾瀬」結成。
5月 マリンネット中心による「春がきたきたまつり」開催。
6月 大阪を中心に関西方面のメンバーの交流が始まる。
7月 P.C.Tiara結成5周年目となる。
「マリンネットJr.」(川崎市溝の口方面の勉強会)誕生。
9月 神奈川県横浜市タウン誌「はまかぜ」掲載。
10月 会報「Tiara」5周年突入。
12月 「P.C.Tiara展」開催

 これまで毎年、神奈川を中心に各グループが誕生、前年結成された北海道に続き、大阪を中心とした関西グループも生まれました。この年はグループごとの活動が活発でした。

 12月の会報Tiaraには「なし畑」「おしゃべりTiara in 湘南」「Weekend Mac」「Macはじめ隊」「Mac隊」「マリンネットJr.」「北海道じゃがじゃが」「東京多摩地区国立」「関西」「中国・四国・九州・沖縄(みなみ)」の10グループが並んでいます。そして、「Tiara5周年記念パソコン合同勉強会」が開催され、全国のグループから作品が寄せられました。その様子が会報に記事として掲載されています。表紙はSさんの可愛いパソコン君の四季折々のイラストで飾られています。

2000年

 インターネットが普及し、インターネット活用法が度々掲載されるようになり、またグループごとにMLが始まりました。会報の編集もグループで担当するようになり、北海道、関西グループなど地元の記事を織り込んだ今までにない会報作りをしました。また「横浜都筑」「埼玉 (つきうさぎ)」のグループも誕生しました。そして、この年の12月、全国の各グループより作品を集め、川崎でパソコン作品展を行い、そのことが朝日新聞神奈川版に大きく取り上げられました

2001年

 1月早々、横浜市のデパート「あいたい」で「主婦のためのパソコン在宅ワークセミナー」を開いたところ、100名以上の応募があり、盛況に開催されました。会報にはその様子を掲載しています。

 グループはさらに、「湘南・プチ」「東京ベイネット」「goody-net」の3グループが増えました。

 5月には全国の皆さんにアンケートを取り、それをまとめた特集号を組みました。

 この年は国を挙げての「IT革命」の一環で全国的にIT講習会が急速に開かれた年。会員さんの中にも講師を務める人が多くいました。またインターネットはISDNからADSLへ変わっていきます。

 そんな中で、10月から会報上で声をかけ初めての試み、「第1回ネット博覧会」を暮れから翌年春にかけて行いました。規模は小さいものでしたが、オリジナルのロゴバナーをサイトに貼り、グループや個人のHP紹介、作品の展示、掲示板での意見交換、チャット、賞品の抽選を行いました。

2002年

 2月「子育て中のままにパワーを」ということで「体験トークセミナー」を開き、その時の会話を会報に掲載しました。この年、在宅ワークをテーマにしたグループ「Marine」が生まれました。ふり返ると既に16のグループが結成されてきたことになりますが、諸事情により年々オフでの勉強会や集まりは次第に開催される機会が少なくなりました。そしてML上での活動がメインになっていました。

 6月海外から帰国したメンバーも迎えて、久しぶりに顔合わせの会を行ったところ、昨年に引き続きネット博をやろうということになり、第2回ネット博の計画が始まりました。

2003年

 3月から5月にかけて「第2回ネット博覧会」を開く。内容はHPとイラスト作品コンテスト、ゲーム、チャット、掲示板での交流など。企業に呼びかけ多数の賞品を用意してにぎやかに行われた。また、半年前からの準備は全てMLにて行われたのも初めてのことでした。

 グループ「東京都稲城市」「星のしづく神奈川県大和市)」誕生。

 7月号にて8年間続いたペーパー会報の廃刊。

 9月よりWab会報を発行。P.C.Tiara一本のMLを中心とした活動に変わりました。

2004年
7月記念手帳の作成、HPのリニューアル、会員紹介誌・記念ペーパー会報の作成・発行「10周年の会」を開くなどP.C.Tiara10周年記念の催しを行い10年のけじめをつける。

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